子供の教育

私の方法論 その1 準備編
今、私がここにあるのは、1991年に海外の学校との交流でファックスを使い始めた事による。もし、あの時、ファックスを使っていなかったら、今の私はないと思う。
その前年1990年の4月から当時のパソコン通信で、国際交流を始めたのだった。半年もすれば、相手から届く英語を日本語にすることはできるようになっていたが、こどもたちのメッセージを英語にするのは、なかなか難しくて、高校の英語の先生に教えてもらいながら交流を続けていた。
そんな中、1991年の6月にある所で、「イギリスにファックスで海外の学校との交流をしている学校がある。ソ連との交流でファックスが1センチにもなったそうだ」という話を聞いた。当時、ファックスはビジネスの世界では普通に使われていたが、教育の世界でファックスを使うと言うアイディアは初めて聞いたことだった。
その話を聞いてから約1ヶ月、思案の末、当時の最高級のファックスマシンを買い、家に備え付けた。そして、さっそくイギリスのその学校にファックスを送ってみた。するとすぐに返信のファックスが届き、交流が始まったのだった。

1993年からは草の根の国際ボランティアネットワークKIDLINKの日本の窓口を始めていた。KIDLINKは1990年から活動を始めていた。創始者のノルウェーのオッドさんとは縁あって、1991年の10月に東京で直接会う事ができ、その後の付き合いがずっと続いている。
このKIDLINKのマネージャーをやったことも、今の自分を創ってくれた貴重な体験であった。おかげで世界中に仲間ができ、2007年3月の退職を待って、彼らを訪ねる世界一周の旅にでかけていた。

2007年の世界一周の旅は、1990年以来の世界の仲間の学校を訪問するために計画し、実施した。
それは、ネットワークによる国際交流のおかげで、その時々の世界の最新教育情報を共有していて、常に世界の教育の最新と出会っていた。しかし、退職した2007年には、公立の学校状況はどんどん悪くなっていた。さらに悪くなる一方であった。だから、その同時代を彼らがどう生き、現在どういう状況なのかをこの目で実際に確かめたかったのだ。

当時は方法論と呼べるようなものはなく、ただ、外国からのお客さんという感じで校長先生に連れられてその学校を回っていた。授業に参加するため、1時間、2時間、教室にいることはあったが、それは相変わらず、外国のお客さんが授業に参加している、、という域をでていなかった。

それが根本的に変わったのが、2007年10月、初めてカンボジアのシェムリアップで小学校の門をたたいたことからであった。 
(続く)



http://kidlink.blog.so-net.ne.jp/2009-06-13

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